兼業官僚がインタビュー ~ プロジェクト編「RCFと復興(宇和島)」
こんにちは!霞が関で働いている篠原です。突然ですが、皆さん、小学生の時の給食で好きだった食べ物は何ですか?私は、甘くて冷たい、おかわりがあれば争奪戦間違いなしの冷凍みかんです。そして、今回のインタビューのお題は、「RCFと宇和島」です!宇和島市は愛媛県南予地方に位置する都市です。愛媛県はみかんの産地として有名ですが、ゆるきゃら「みきゃん」でもお馴染みです。
第1弾でも少しお話ししましたが、RCFは、2011年、東日本大震災を機に、「RCF復興支援チーム」として設立され、東日本大震災の被災者支援、その後発生した、熊本地震等の被災地の支援に継続して取り組んでいます。今回インタビューするのは、2018年7月の西日本豪雨の被災地であり、柑橘産業が盛んな愛媛県宇和島市における復興まちづくり支援を担当している若田さんです。では、早速お話を聞いてみましょう。
岩手県山田町のコーディネーターを経てRCFへ
―― まず、今回の本題である「宇和島市 復興まちづくり支援」事業の話に入る前に、今まで若田さんがどのような事業に携わってきたのか教えてください。
東日本大震災発災後に個人として岩手県山田町に入り、流された商店街の再構築計画の策定業務にて、地域の事業者、町役場、県、省庁の間のコーディネートを中心とした復興に向けた仕事をしていました。そして、2016年4月に、東京への移転をきっかけにRCFに参画しました。同月に熊本地震が起き、発災の翌週には現地入り。弊団体として東日本大震災の復興支援でもご一緒した日本財団と協働プロジェクトを立ち上げ、 行政とも連携しながら、コミュニティ支援や産業支援等を行いました。日本財団も弊団体も、東日本大震災の際に自治体支援をした経験から得た知見を活かして、熊本県庁や各自治体に対し、ハードを元に戻す「復旧」だけでなく、早い時点でのソフト面を含めた「復興」への取り組みの推進について、提案をしました。ソフト面での支援事業の具体例としては、東日本大震災のときに私たちが取り組んだ、被災地内外の民間人材を被災自治体等に派遣するプロジェクト「WORK FOR 東北」のような人材マッチング事業や、キリンホールディングス株式会社と協働で実施した、「復興応援 キリン絆プロジェクト」のような地域活性および地域の主要産業である一次産業等の復旧・復興を支援する事業(熊本では、農業・畜産の復興を目指す「食産業復興支援」と、熊本城の復旧等、観光の活性化を支える「地域の活性化事業」)を推進しました。
実は熊本地震に関しては、もう少しRCFとして取り組めたのではないかと今も反省していることがあるんです。それは、支援を広域で実施していったこともあって、特定の自治体と連携し、復興計画づくりの段階から支援して、そこからテーマを広げていくような自治体連携の支援ができなかった点です。人材マッチングや主要産業の復興支援のテーマでの広域の取り組みは行いましたが、そこからさらに地域内の課題へアクセスし、中長期の取り組みに展開もできたのではと感じています。
―― では、本題の宇和島の話に移りたいと思います。まずは、どのような経緯でRCFは「宇和島市 復興まちづくり支援」事業に携わるようになったのですか。
当時、総務省から愛媛県庁に出向していたある方から、東日本大震災等の復興支援の経験を踏まえた上で、愛媛県の各自治体が取り組むべき今後の復興支援についての講演依頼が、代表の藤沢に来たのが事の始まりでした。2018年7月に開催された愛媛県・市長連携推進本部の会合で、「生活再建期は、住宅・事業再開等の復興計画が過大になりやすいが、復興後の現実を見据えて「ハード支援と並行したソフト支援」「住宅再建だけではなくコミュニティ形成」「復興を担う地元の人材育成」が必要」というお話したことがきっかけで、宇和島市と協働してプロジェクトを始めることになりました。
「宇和島市 復興まちづくり支援」について
―― 宇和島市での復興支援は今までの東北等での復興支援と異なる点は何かあるのですか。
宇和島市の復興支援は、藤沢が昨年10月に宇和島市の復興まちづくりアドバイザーに就任し、復興計画づくりの段階から自治体と一緒に取り組めたところが今までと異なります。今後実施する多角的な復興支援事業を念頭に置きつつ、復興計画に対して助言を行いました。具体的には、中間支援組織(※1)の支援、復興人材の育成、販路拡大による産業復興、コミュニティ形成支援、といった復興のプロセス(「緊急支援期」(発災から3ヶ月)→「生活再建期」(3ヶ月~1年)→「復興支援期」(1~3年))ごとに求められる支援策等についてアドバイスしました。
(※1)中間支援組織:地域社会と行政の仲立ちをしたり、各種サービスの需要と供給をコーディネートしたりする組織。中間支援組織があることがゴールではなく、 立ち上げた後、あくまでも必要性があればではあるが、中間支援組織の機能をどのように自走できる形で残していくのか考えていく必要がある。
―― では、次に具体的に若田さんが取り組んでいる復興支援事業について教えてください。
復興計画を策定した後は、その計画に沿って、具体的な事業に落とし込んでいきました。RCFが支援している事業は、大きく3つあります。①柑橘を中心とした産業支援、②復興人材の育成を中心とした被災者支援、③復興に向けた情報収集・分析及び情報発信支援です。
①柑橘を中心とした産業支援について
愛媛県のみかんは全国的に有名ですが、宇和島のみかんと考えると、まだまだブランド化を目指す余地がある状況です。そんな課題背景から宇和島の中核産業である柑橘産業にフォーカスして、支援事業を立ち上げました。宇和島の柑橘産業を強化すれば、復興後も宇和島の活力になるため、復興の後も見据えた支援事業として取り組みを進めています。この事業は、柑橘の販路開拓支援と新規就農者支援という2つの柱から構成されています。
まず、販路開拓支援についてご紹介しますが、宇和島で作られているみかんには、せとか、甘平、不知火(デコポン)、ブラッドオレンジ、温州みかん等色々種類があるのですが、ブランド化して販売できていないところが弱みです。そこで、「愛媛みかん」ではなく、「宇和島みかん」としてのブランド化を目指し、独自のブランドページを立上げ、発信していくことを考えています。地域のブランドが育てば、地域が元気になると考え、まず、いま現在宇和島で取り組めていないWebを活かした情報発信を行っています。本取り組みは、世界一の養殖ブリの街鹿児島県の長島町にて、養殖ブリをブランド化して「鰤王」として打ち出すことに成功した専門家の方とタッグを組んで進めているものです。
復興事業の一環としてのブランド化については、東日本大震災の復興支援であるキリンホールディングス株式会社の「復興応援 キリン絆プロジェクト」でも、地域事業者の方々と一緒に取り組んだテーマです。具体事例を挙げると、岩手県釜石市の海鮮中華まんじゅう「海まんプロジェクト」があります。このプロジェクトでは水産加工事業者、菓子製造販売会社、酒造会社等の地元の異業種が協力して、各々の強みを活かした付加価値の高い商品開発を行い、「海まん」という商品を世に出しました。その他にも、福島県のお米「天のつぶ」のブランディング支援等、復興後を見据えた地域における重要な産業支援の取り組みの一つとして、地域産品のブランド化を捉えています。
2つ目は新規就農者支援です。西日本豪雨前に、既に12人の新規就農者がいたのですが、彼らを盛り上げていくことが、宇和島の柑橘産業を後押しすることにつながると考えています。すでに新規就農者と受入れ先の農家のマッチングをし、就農開始に向けた研修を受けられるサポートはあったのですが、研修が開始すると新規就農者同士や、他の農家との連携が少なく、いざ就農開始しようとしても農地がなかったり、十分な販路を持つことができなかったりするという課題がありました。そこで、新規就農者、受入れ先の農家、JA、行政間の連携プラットフォーム作りに向けて、2019年7月から、新規就農者支援コーディネーターが活動を開始しています
②復興人材の育成を中心とした被災者支援
まず、宇和島市内で一番被害が大きかった吉田町で、住民の悩み相談を受ける宇和島NPOセンターを今年の7月に設立しました。センターの設立前には、宇和島市内で市民活動をしている複数の団体等で構成される「牛鬼会議」を何回も開催して、問題意識の共有を図りました。そこで、まずは住民の悩み相談を受け付けられる窓口をつくることが必要ということになり、宇和島NPOセンターを立ち上げることになったのです。宇和島市内には、様々な市民活動をしている団体があるので、各団体がつながって情報交換できる、地域住民と支援するNPO等とがマッチングできるようなプラットフォームの役割を宇和島NPOセンターが果たせればと考えています。開所1ヶ月(2019年7月時点)で、既に134名の方が来所しています。ボランティアニーズをはじめ、災害支援に係る困りごと相談窓口として、行政とも連携し、行政の支援情報等の情報提供も行っています。今後も必要に応じて、行政等、他機関・組織とつないで、困りごと解決に取り組んでいきます。
この事業では、①災害支援、②防災教育、③産業復興の3つの柱を置いています。今後、この3つの柱について計画を明確にしていきますが、中長期的なニーズを理解しつつ、復興の状況に合わせた取り組みを検討していく予定です。
③復興に向けた情報収集・分析及び情報発信
ヤフー株式会社では、2019年7月から「平成30年7月豪雨(西日本豪雨)から1年」というタイトルで特集ページを組み、その中で宇和島市として「くじ付き募金」を開始しました。これには発災から1年以上経った今でも、仮設住宅住まいを余儀なくされている方がいらっしゃるという実態をホームページを通して知っていただくことで支援につなげたいという思いがあります。9月時点で、延べ約1万3千人から、約230万円の支援が集まっており、この資金を活用して宇和島市での復興支援を行っています。
また、経済産業省の未来の教室プロジェクトにも採択され、宇和島市内の事業者と連携し、外部人材を活用した地域課題解決を目指す研修を実施する予定です。
このように、宇和島市の復興支援では、ヤフー株式会社、フィリップモリスジャパン社等の企業との連携による事業が行われています。東日本大震災以降、民間企業による復興支援事業が生まれてきていますが、こうして生まれた事業が今後の地域活性へとつながるように、自治体等と連携し、自走できる仕組みを築いていくことがRCFのミッションでもあります。
社会事業コーディネーターという仕事のやりがいについて
―― 社会事業コーディネーターとしてのやりがいについてどのように考えていますか。
復興計画を含めた計画策定フェーズから、それを具体的に実行に移すフェーズまで、一気通貫して支援していくことがコーディネーターの大きなやりがいだと感じています。時には、省庁等の国側の支援政策を推進する方々と連携し、時には地域自治体の方・地域の事業者と連携し、様々なレイヤーを意識して仕事できることは勉強になりますし、コーディネーターとしての重要な役割と認識しています。
社会事業コーディネーターは、課題の現場で多様なステークホルダーと連携しながらビジョンを作り、関係者の調整をしながら課題解決を推進していく仕事です。社会課題が山積している日本では特に必要性が高い職種ですが、社会事業コーディネーターとしての仕事はまだまだ社会に浸透していないと感じています。私としては、社会事業コーディネーターの役割を担える人が増えていくことが必要であると感じており、RCFの仕事を通して担い手を増やしていければと考えています。
インタビュアーから最後に一言
特に東日本大震災以降、今まで主に行政が担ってきた「公共」を支える主体に、企業や非営利セクターが参画するようになってきました。例えば、東日本大震災の被災地である岩手県釜石市では、2014年6月、釜石市、金融機関であるUBSグループ、RCFの3者で、復興に向けた共同宣言を行い、新規事業創出等のプロジェクト等を含む、復興まちづくりに取り組んできました。
2011年米国のスタンフォード大学が発行しているレビュー誌で紹介されている、様々なセクターが組織の壁を越えて、お互いの強みを活かしながら社会課題の解決を目指すアプローチである「コレクティブ・インパクト」は、釜石市の事例で見られる復興のみならず、平常時における社会課題解決にも有益であると考えられます。その際、必要となるのがRCFのような、様々なセクターをつなぐ役割を担う社会事業コーディネーターです。RCFは、釜石市や宇和島市等、社会事業コーディネーターとして活躍できる「場」をもっていることが強みです。今、行政や民間で働いている方の中で実践の場を求めている方、是非RCFのみなさんと一緒に、社会を変えていく仕事に取り組んでみませんか。
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(参考情報)
・宇和島復興まちづくりについて
・宇和島市復興計画
・復興応援キリン絆プロジェクトについて
・「鰤王」
・海まんプロジェクト
・平成30年7月豪雨(西日本豪雨)から1年